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思うこと。

自分はよく、人類が今後どの方向へ進んでいくんだろう。そして、進んでいくべきなんだろうと考えることがある。 数百年・数万年後は自分はとっくに壺の中だろうが、そんなことは棚に上げて、自由に想像する。 なぜだろうか。ひとつは、自分は人類の一部であることを誇りに思っているし、これから先の人類もそう思い続けてほしいという気持ちがあるからなのかもしれない。

最近ではAIの進化が目まぐるしい。何年後になるのかは分からないけれど、最終的にはきっと人類はAIを深いレベルで利用しているだろうなと直感的に感じている。 そういう未来について想像したとき、その形は2パターンに分類できるのではないのかと考えた。僕はそれを「AIハッピーエンド」と「AIバッドエンド」と呼ぶことにした。

AIハッピーエンドは、いわゆる古代ギリシャ的な状態、つまり「人間は哲学だけやっていればよい」という世界のことである。 AIが畑を耕し、じゃがいもを地面に植え、街の状態を清潔に保ち、Amazonの配達をし、水道管の手入れを行う。 要するに、AIが人間が持続するだけの基本インフラをすべて遂行するため、人間は労働を行わなくてよくなり、哲学や政治などの知的活動に集中できるようになるわけである。

一方AIバッドエンドは、AIハッピーエンドと真逆のエンドである。つまるところ、人間が畑を耕し、じゃがいもを植え、休憩時間に「AIが作った最新ゲーム面白れぇ~~~」と喜んでいる世界である。

AIハッピーエンドへの道のりは非常に険しいものになるだろう。第一、全ての人間が哲学ができるだけの思考的体力を持っているわけではない。資本主義に変わる経済スキームも必要になるだろう。 何より、今の世の中をSNS越しに覗いてみると、たかがシンギュラリティ(これについては後日述べようと思う)を超えていない程度のAIを目の前に、自信の能力や意思に疑問を感じてしまう人々があまりにも多く観測される。

それにしても、AIハッピーエンドというのはずいぶんと主観的な命名だ。本当は全人類Ph.Dエンドのほうが状態を表していて良い命名であろうが、敢えてAIハッピーエンドと銘打った。これはAI(で全人類が)ハッピー(になる)エンドの略ということでここはご容赦いただきたい。

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無知シリーズは、議論に必要な教養を全てすっ飛ばした筆者が思うままに考えていることを綴る愚かなシリーズです。
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